カレル橋(Karlův most)

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   現在カレル橋が架かっている付近に、以前「ユディタ橋(Juditin most)」という橋が架かっていました。木造のユディタ橋はヴラディスラフ1世(Vladislav I.)のもとで1158年から1172年にかけて建設されました。この橋の名の由来は、王妃の名前「ユディタ」からきています。旧市街地側では、この橋の石造りのアーチと石畳を見ることができます。聖フランチェスコ教会の入り口左側の角にぶどうの模様を施された柱があり、その柱の周囲にユディタ橋の石畳が残っています。これらの石畳は、プラハに見られるうちでも最古のものと思われます。聖フランチェスコ教会正門の左側少し奥にある階段を下るとユディタ橋の最初のアーチが見られます。アーチの下は遊覧船の乗り場となっており、遊覧船にて20分間の「プラハのヴェネチア」観光を楽しむことができます。
   このユディタ橋ですが、1342年のヴルタヴァ川氾濫によって決壊してしまいました。その後の橋のない民衆の生活は困難であったため、当時のチェコ国王であったカレル四世(Karel IV.)が、新たな石橋を建設することに決めました。後に「カレル橋」と呼ばれるようになったこの橋の建設の指揮は、聖ヴィート大聖堂の建築に携わった、かの有名なぺトル・パルレージュ(Petr Parléř)が執ることになり、1357年9日7月5時31分に工事が着工されました。この日付を数字だけで表すと、135797531という奇数によるピラミッドが出来上がります。工事が難航したため、プラハの住人だけではなく、田舎からも大勢の人々が支援に駆けつけました。田舎から毎日何百個もの卵を運んでは、卵をモルタルと混ぜて橋の土台を築くために使いました。
   この橋は最初、「石橋」と呼ばれていました。「カレル橋」と呼ばれるようになったのは18世紀になってからのことです。伝説によると、ヴァーツラフ4世(Václav Ⅳ.)の王妃の懺悔を聞く役目を担っていたヤン・ネポムツキー (Jan Nepomucký) 司祭が、王妃の秘密を王に告げなかったことから、激怒した王が、司祭を捕らえて拷問にかけた後に、橋からヴルタヴァ川へ放り込んだそうです。15世紀になってその場所には十字架が立てられました。そのことがきっかけとなったのかどうかは定かではありませんが、17世紀終わりごろには、貴族や民衆または修道院からの寄付によって、カレル橋に聖人の像が立てられるようになりました。現在のカレル橋には30もの聖人像を見ることができます。これらの像の中には、バロック時代からのオリジナルの像もあれば、19世紀になって複製されたもの、またしては20世紀になって作られた複製の複製というようなものまでもあります。

   聖ヤン・ネポムツキー銅像 
橋にある唯一の銅像です。他の像は砂岩でできています。1683年に橋に設置された初の彫像でもあります。彫刻家のブロコフは聖人の木造模型を制作し、ドイツのニーンブルクにて鋳物を制作しました。伝説から、この像の基部にあるレリーフに触れると幸せが訪れるといわれています。

   聖フランシスコ・サビエル像 
1711年に彫刻家ブロコフによって制作された像が1907年に複製されたものです。像は1890年に起こった洪水にて川に落下してしまいました。1907年に川に落下したオリジナルの像を見ながら、彫刻家のヴォスミークが複製を制作しました。オリジナルの像は国立博物館にて展示されています。この像を支えている像のうち一人は、17世紀にチェコでイメージされた日本人だそうで、頭には丁髷があり、体には刀を二本携えています。    橋の両側に橋塔が立っています。小地区側(Malostranská mostecká věž)の二つの橋塔と旧市街側橋塔(Staroměstská mostecká věž)と呼ばれています。両方の橋塔に登ることが可能です。


カレル橋の塔からカレル橋やプラハ城の景色


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